文鳥と暮らすための本

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原種的色合いの桜文鳥
原種的色合いの桜文鳥

文鳥(ブンチョウ)は、インドネシアのジャワ島やバリ島に住む熱帯の野鳥で、英語ではJava sparrow(ジャワ雀)またはRice bird(米食い鳥)と呼ばれています。クチバシの先端から尾の端まで13センチほど、体重は25グラムほどのスズメ目に属する小鳥です。頭と尾が黒く、胴体は光沢のある青みを帯びた灰色で、お腹は赤みがかった灰色(桜鼠【さくらねず】色)をしており、ほっぺたの白と大きめの真っ赤なクチバシが印象的な姿をしています。

野生では 日本のスズメと同じように、人間の作るお米などをこっそりと、また時には大きな集団で大胆不敵に食べながら生きてきた小鳥でしたが、農作業の形態が変わってきたためか生息数が減少し、現地では野生の文鳥を見かけるのが難しくなっているようです(ハワイのオアフ島アラモアナビーチパークなどで野生化した文鳥が群れ飛んでいますが、人の手で運ばれ帰化し餌づけされたものです)。


 この野生の文鳥であるジャワ雀がいつ日本にやってきたのか、正確なことはわかりません。ただ17世紀末期の『本朝食鑑』という書物には、外国から輸入され、姿かたちが美しいので文鳥と呼ばれるようになったとあるので、江戸時代の前期には国内に持ち込まれ、すでに「文鳥」と呼ばれていたのは確かです。

オス文鳥の横顔
オス文鳥の横顔

それより百年ほどさかのぼる16世紀末、日本人は貿易などの目的で、文鳥の生息するジャワ島などの東南アジアの各地に居住地を設けていましたから、その頃、すでにジャワ雀と日本人の出会いがあったはずです。そして、日本人には古代から、雀のヒナを捕らえて飼いならす「子飼い」を行う文化がありましたから、現地に住んだ日本人の中で、日本の雀よりあでやかなジャワ雀の飼育を始める人がいても不思議ではありません。やがて、その習慣が広まり、当時の朱印船貿易で輸入されたジャワ雀が日本国内で飼育されるようになったとも考えられるわけです。何しろ、 もともと中国で柄模様(文様【もんよう】)のある鳥すべてを指す言葉「文鳥」が、日本ではこのジャワ雀だけを指す言葉となったのは、それだけ、その飼育が他の小鳥よりも早く盛んになっていたことの証拠と言えるのです。
 インドネシアからの輸入ばかりでなく、18世紀にはすでに文鳥の日本国内での繁殖が始まっており、次第に盛んになっていったようです。例えば、19世紀初期の『飼篭鳥』という書物によると、自分で繁殖させた文鳥を数百羽ずつカゴに入れて江戸や大坂に売りにくる人の話が載っています。また、19世紀半ばの『百品考』という書物には、人々が好んで文鳥を飼育繁殖したため、逃げ出したのか、京都市中を普通に飛びまわっている文鳥の様子が、筆者の実体験として記されているほどです。
 


舞い降りる白文鳥

さらに、安藤広重などの浮世絵や、佐竹曙山(しょざん)の蘭画などに文鳥の姿が多く見られ、異国風でありながら日本画にも自然に溶け合う姿が、画題としても好まれていたこともわかります。

このように江戸時代を通じて日本人に親しまれた外来の小鳥として、文鳥以上のものは無いと言えるでしょう。外来の小鳥ではおそらく最も早く国内繁殖されるようになり、庶民レベルでも広く知られるほどポピュラーになった文鳥は、まさに日本人が格別に愛してきた小鳥なのです。


 江戸時代の文鳥たちは、原種のジャワ雀と同じ姿をしていましたが、明治時代の初め頃、現在の愛知県弥富(やとみ)市の文鳥を繁殖する農家で、全身純白の文鳥が突然変異で誕生したようです。その白い文鳥の系統は人気となって数を増やし、明治から大正時代にかけて夏目漱石の小説にも描かれるほど国内で一般化し、またJapanese ricebirdとして海外にも輸出されるようになりました。

桜文鳥の夫婦
桜文鳥の夫婦

 そして、この白文鳥(シロブンチョウ・ハクブンチョウ)が数を増し、江戸時代以来の原種色の文鳥と交配することで、原種色の文鳥も所々に白い差し毛の斑(はん)が入る桜文鳥(サクラブンチョウ)に変質していったと考えられます。桜文鳥の「桜」は胸に入る白斑のボカシ模様が桜の花びらを連想させるため、との説が昔からありますが、定かではありません。一方で、これら日本で生まれた品種とは別に、現地から輸入されるほとんど白い差し毛を持たない原種の文鳥は、並文鳥(ナミブンチョウ)と呼ばれるようになりました。
 なお、
現在、野生の文鳥が少なくなったため、捕獲・輸入はされていません。従って、『並文鳥』と呼べる文鳥は日本国内に存在しないので、並文鳥は「死語」と言えます。国内の白い差毛がない原種に近い色合いの文鳥は、桜文鳥の白い差毛が少ない個体か、品種間雑種で濃い色が表現された個体です。並文鳥の「並」は、野生からの捕獲のため、毛づやが悪く人なれしていない文鳥を、上物に劣った並物として扱ったことに由来する呼称と思われますから、現在の原種に近い色合いの文鳥に対しては、用いないほうが良いでしょう。

 長らく、文鳥と言えば国内で繁殖された白と桜と、インドネシアから輸入された並文鳥の3種類でしたが、1970年代のヨーロッパ(オランダ)で、メラニン色素の一部を先天的に持たないため、全体が茶化した色合いで、目が赤く見える品種が固定されます。そして日本にも輸入され、1980年年代にはシナモン文鳥という品種名でお店でも見かけるほど一般的な存在になりました。シナモンとは香辛料の肉桂(ニッキ)のことですが、確かにニッキ飴の色合いを連想させます。

赤目のシナモン文鳥
赤目のシナモン文鳥

 1980年代には、やはりヨーロッパで、全体の色合いが淡くなる色素異常から品種が固定されました。1990年代になって日本でも見かけるようになり、一般にシルバー文鳥という品種名となっています。
 その他、シナモン文鳥の色合いを淡くしたようなクリーム文鳥や、メラニン色素をすべて欠くアルビノ現象のため目が赤く純白のアルビノ文鳥、さらに胴体は原種の色合いのまま黒い部分(頭・尾)が茶色の文鳥(アゲイト文鳥【アゲイト=agate=宝石の瑪瑙〈めのう〉】)など、新品種を生み出す努力が、現在も一部の人々によって続けられています

 文鳥が持つ色の遺伝子は少ないため、発色遺伝子を別種から導入しない限り、色のバリエーションは限られてしまうと思われます。また、インコや九官鳥のように、人間の声を真似することもほとんど出来ません。
しかし、流線型の美しい体型や、つややかな羽毛など、文鳥の外見的特長は、それだけでも優れた魅力となっています。

比較的に小さなケージ(=cage=鳥カゴ)で飼育することが可能で、キビキビとした小気味良い動作で見飽きませんし、部屋の中などで飛行させた場合は、小回りの効く器用な飛行で、鳥類の飛翔の不思議さを見せてくれます。鳴き声は、明治期に「千代」と表現されていたように、「チヨ・チヨ」「チュン・チュン」と、近隣の迷惑になりにくいスズメ同様の音で、夜鳴きもしません。また、文鳥に限らず小鳥は飛ぶために身体を軽くする必要もあって、「フン製造器」と呼べるくらいに糞をしますが、その排泄物は指の先ほどに小さな固体で、ハムスターやウサギなど小型哺乳類の飼育の際に悩まされるアンモニア臭とは、ほぼ無縁です。また、かむ力も強くないので、電気のコードなどを噛みちぎるようなことはありません。・・・と、このように、文鳥の特徴を上げていくと、住宅地の家庭内で飼育するには、もっとも適した生き物と言いたくなるくらいです。
 もちろん「手乗り文鳥」として知られるように、ヒナの時に人間がエサを与えることで簡単に人間を恐れずに肩や手に乗る小鳥になるのも、大きな魅力です。一羽で飼育すると、飼い主のことを恋ビトのように愛してくれることも多く、驚くほどに賢く、一羽一羽で性格も大きく違っていて、飼い主の思い通りにならないこともあるのが、魅力的だと思います。さらに複数を飼育して一緒に室内で遊んだ場合、不思議なくらいに個性的な文鳥たちと飼い主の複雑な関係(友情あり、ライバル関係あり、嫉妬や不倫のドロドロした関係もあり・・・)を楽しめるのも、文鳥ならではの醍醐味です。
 小さな体に強烈な個性を秘め、大きな喜びを与えてくれる文鳥という存在に気づいた飼い主は、とても幸運だと思います。この幸運を大切にしたいものです。

 

茶の間を舞台に活躍中の文鳥たち
茶の間を舞台に活躍中の文鳥

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